ケサラ
今日は やっと 残暑お伺いを 贈れた ほっとした
午前中 夏の約束 お稽古 みなさんのを見るのが
精一杯で 自分の語り迄 手が回らない。あと2週間
なのに まだ すべてのエピソードが集まらない。
今日の稽古で 質問が あった。
事細かに調べて 史実と違うのではないか という声
ここは不要ではないかという 質問
聞き書きとはなにか あづかったものがたりを 語る
とはなにか....
体験者にも 当然 記憶違いは あるわけで (書かれ
たものがたりにも たまたま ある) 日付の違いとか
ときには 前回聴いたのと今回は違うけどということも
あるのだが わたしは ご本人に訊いて確認できない
箇所はそのまま つたえるでいいと思っている。
プログラム等に 注意書き することは必要かも
知れないが 細かいところに拘泥すると全体が視えなく
なる。
あくまでも その方のものがたり こころの動きを尊重
したい。唯一無二のその方のものがたり.....おあづかりし
て 声によって 次代に伝えるのが語り部のつとめであ
る。
史実をつたえるのではない 史実を縦糸とするなら横糸
その時代の膨大なパーソナルストーリー オーラルスト
ーリーをつたえるのだ。
わたしは 数十人もの方からちいさなものがたり 大き
なものがたりをあづかった。そのものがたりの価値は
大小とはかかわりない。人間性 普遍性が決めるのだと
思っている
聴き手のみなさんの魂の奥に届きなにものかを揺さぶり
起こすことができる 生きる勇気を伝播する 響かせる
そのような ちからをパーソナルストーリーは持ってい
る。
カタリカタリの戦争と平和の公演は そのような個人か
らの採話 と 書承の体験の再話で成り立っている。
採話のほとんど 再話のほとんどは 私の手掛けたもの
であり それをメンバーに語ってもらっている もちろん
自分も語る。
昨年の男たちの戦争で 再話にチャレンジしてもらった
のだが 悪戦苦闘だった 何度も投げ出したくなった。
みなさんの再話は 書籍の要約 集約 ダウンサイジング
に なり勝ちだった。
書承では 説明するために 膨大な字数が必要である
それをそのまま 語ったのでは ひとつのものがたりで
2時間終わってしまう。
要約ではなく ものがたりの軸をつかみ 最小の文章で
ものがたり化する 公演全体のテーマのなかで その
エピソードが担うのはなにか 全体を見る力と主人公の
芯というか 人間性の洞察力 エピソードの構成力
この三つ プラス語り部としてのちからが 必要なのだ。
語りは 語り部に感性のみならず 知性 洞察力 文章力
構成力 体力 そのすべてを求める。
こんなこと書いたら 語り部になろうというひと いなく
なってしまうかも知れないが このチャレンジは面白い。
やめられない。今世を卒業するお墨付きをいただくには
格好のトレーニングであると思う。
午後 シャンソン 新曲は ケサラ
先生に歌いたいとリクエストして あっさり断られたの
に だれかが 魔法をかけてくれたのだろう。
ケサラケサラ ケサラ なるようになる
わたしたちの人生は ♬
