瀬織津姫 向津比命

瀬織津姫は 隠された女神
畏れ多くも 瀬織津姫のものがたりを 語りにしたこと
があるのですが トランス状態になり 身体がブルブル
震えました。次に語った時は 向こう側に行ってしまい
帰り道 車で 右側車線を 走っていました。
語る というのは 存外 怖いことなのです。ですから
神さま 力ある方 死者(戦争や地震で亡くなられた方
など)を 語るときは 潔斎が必要です。
祈ることはもちろん お神酒 塩 水を お供えします。

さて 瀬織津姫の御名が 隠されたわけ
これには 持統天皇と藤原不比等が 関わっています。

ほつまつたえでは 瀬織津姫は 天照大神の妃神として
書かれています。世界の神話を見ても 太陽神は 男神
であることが多いのですが 持統天皇が女性であったこと
古事記 日本書紀が その時代に編まれたことから 持統
を模して描かれたとも いわれています。

藤原不比等は ひかる君で紫式部の想い人として うつ
くしく描かれていましたが 洗脳されてはいけません。
不比等の父中臣鎌足 は渡来人といわれていました。

しかし 昨今 渡来人じゃない説が 蔓延っています。
なぜかな? 現代日本に帰化人が増えたからかな?

箔をつけるために 武御雷の子孫という触れ込みになる
のですが この神さま やはり武勇に秀でた 大国主の
次男タケミナカタに名前が似すぎ 武御雷もつくられた
神かもしれませんね。

ともかく 不比等の手に寄り歴史は改ざんされたようです。

実は今日この記事を書いたのは 下記の動画を見たから
なん
ですね。

伊勢神宮に 瀬織津姫が 祀られていたのではという......


六甲山が瀬織津姫の墓所であることは知っていましたが
.... 庭かには 信じられない

瀬織津姫は 水の神 熊野大社 速玉大社 那智大社に
祀られているのは ほんとうは 瀬織津姫 といわれて
います。平安時代は 伊勢神宮に詣でる貴族は あまり
いなかった。熊野詣が 多かったのです。

なにより 氣が ちがう

伊勢神宮の 氣は 硬く 強い
もとは祀られていたが 今はおられないというなら
話は 別ですが .....