老年性超越
多幸感 《なんだかわからないけど とてもしあわせ》が
つづいている....
公演が終わったあとの多幸感は 7日くらい 今回は
もう 18日目
なぜだろう? とかんがえていたら 娘が おかあさん
”老年性超越”じゃない という。
調べてみたら 90歳から 100歳 あるいは85歳
の老人がなる 悟りの境地みたいなものらしい。
(年齢も悟りも 足もとにも及ばないが)
それで終わり というのではなくひとつのステージが
終わって 次のステージが 開ける。あたらしい始まり
そういえばね 公演をきっかけに いろいろな出逢いが
ありました。コミケの初代代表の友人が きてくれて
終演後 50年前の昔話に濃密な時間が甦り ”11月の
ギムナジウム” ...ダイナビジョンを送ってもらい 聴い
たことで 封印が解かれた。
わたしの聲 手探りで 闇のなかを 深い森を歩いて
いた頃 震えと愛する者への想いと すでに諦念に
いろどられていた つたない聲
すでにそこにあった 萌芽
それは わたしの語りの原点だった。アニメの演出家
だった もうひとりの友人 廣川和之さんのことも
思いだして ネットを渉猟するあいだに 出逢いがあって
別れたあとの彼の人生を知った。
あまり いい思い出を持たない方だったのだけれど 傷
つけられた と思っていたのだけれど 自分の存在こそ
彼には痛かったのだ と 気づけた。
今日の午後 一年半前に辞めた社員が 訪れた。火の
ように働き 身勝手で わがままで 手を焼かせたその
男にあうことがこんなに 嬉しいとは思いもしなかった
彼の成功を心から喜べた。きれいな別れではなかったのに
出会いはふしぎだ 誠意を尽くし 悔いなくつきあって
一片の悔いない別れを(それが死別であっても生き別れ
であっても) できるひとが どれだけ いるのだろう。
わたしは ふたつの別れを取り戻すことができたことが
うれしい。ほどけた真珠のネックレス そのひとつひと
つの珠 を 丁寧に糸にとおしてゆくように 生きたい。
あたらしいはじまりが いったい何処を目指すのか ま
だわからないけれど 出立する準備は もうできている。
