Shimon Sawahata

むかし 使っていた机の引き出しの隅から Shimon Sawahata 澤畠 七郎さん
の名刺が出てきた。偶然ではなく 澤畠さんのわたしへのメッセージのように
思えた。

七郎さんがご存命なら 92歳 でももうこの世にはいらっしゃらないだろう。
初めてお会いしたのは2010年8月 埼玉県立久喜図書館のホールで「語り継ぐ
戦争と平和」井上ひさし・櫻井美紀追悼という語りの会を開いた時のことだった。

終演後 七郎さんは図書館のエントランスで泣き崩れた.....あなたたちの声は
ひかりです。どうか兄たちの話を聴いてください とおっしゃって..... この
名刺はそのときいただいたものに違いない。

澤畠さんのことばはあまりに重く わたしが澤畠七郎さんと連絡をとって鷲宮
の勤労者センターの一室で七郎さんの四人の兄のものがたりを聞いたのは二年後
のことだった。わたしの方でも心の準備が必要だったのだと思う。

4時間にわたるものがたりをうかがって 夕暮れの外へでたとき 65年前のひと
びとの戦と65年の歳月がせめぎあい くらくらと眩暈がした。

語られたのはカムバリニズム... 戦争が終わったことを知らず ジャングルに
潜んでいた旧軍の兵士に食べ物はなかった。孝兄は二年ジャングルを彷徨った
あげく米軍に投降 強制労働ののち日本に戻る けれど七郎さんは兄が戦友を
食べて生き延びたことを知る。
飢餓.....シベリアに送られた捕虜にも食料はなく酷寒の地の激しい強制労働で七
郎さんの兄忍は凍傷にかかり はじめ足首を切断 つぎに膝から切断 最後は
足の付け根から切断 だるまのようになって飢えて死んだ....
これはシベリヤから復員した兵士から七郎さんの母が聴いた。

六郎兄は東京大空襲のとき母と逃げた。米軍は真っ黒な油を撒いたあと爆弾投下
一発が割れて38発の焼夷弾になって地上に降り注ぎ 火災を起こす。坪当たり
2.3発の焼夷弾が降ったという。逃げる途中 焼夷弾の直撃で首を落とされ火だる
まになったひとを何人も見た これは後年 母から聞いた話で六郎兄はその日の
ことをひとことも語らなかったという。

池上線から 池上本願寺の池のふちまで逃げて助かったという。その頃18歳の
五郎兄は硫黄島にいた。少年通信兵だったので司令官栗林中将のとなりの部屋で
電文を打っていた。栗林長官の戦いは東京にいる家族を守るための戦いでもあった。
硫黄島が敵の手に落ちれば本土への本格的な空襲がはじまる。将も兵も一日水筒
一杯の水で地下の洞穴をつなぐトンネルを掘り 徹底抗戦をした。玉砕をいましめ
一人十殺を毎日復唱し 島のカタチを変え地下30Mでも轟音鳴動する米軍の猛攻
を耐えた。

しかし ここさえ守れば本土は無事と信じていたのに東京大空襲を知りとうとう
刀折れ矢尽きて 本部に訣別電報を打電 3月23日 総攻撃。
その戦いは最後まで果敢にして冷静だったという。五郎さんも栗林司令官のそばで
戦死したと思われる。戦後 ちいさな骨箱が届いたが遺骨は入っていなかったと
いう。占領後 米軍がつくった飛行場の下に多くの遺骨が粉砕されて眠っている。

七郎さんは兄たちの魂を救いたい と思った。集団疎開先の寺で覚えたお経を朝晩
唱えた。それだけではあきたらず 福音自由教会に通い なお モルモン教徒に
なったという。七郎さんはモルモン教だけが死者の魂を救えるからです といって
静かにほほえんだ。Shimonとは七郎さんの洗礼名である。

わたしは 七郎さんの人生のものがたりも聴かせていただいたのだけれど それは
輝かしくなおかつ重かった。七郎さんは奇跡を視たそして奇跡を視た贖いも受けた

「姉妹よ」とわたしによびかける七郎さんの優しい声が聴こえる....... 忙しさに
まぎれて 会えずにいるうちに 七郎さんの消息はわからなくなった。きれいごと
ではそうなのだけれど わたしは自分が逃げたのだということを知っている。
その 優しさ 苦渋をなめ尽くしたひとのごくひとにぎりのひとだけが持つ静謐
子どものような優しさが 15年前のわたしには耐えきれなかった。

七郎さん ごめんなさい ごめんなさいね
わたしはあなたにあったあと 戦争をくぐりぬけてきた多くのひとから 生と死と
愛のものがたりを聴き 子どもたちに成ったひとびとに伝えてきました あなたが
おっしゃったように ひとは二度死ぬ 一度は息をひきとったとき そして人々の
記憶から消え去ったとき 七郎さんのおにいさんたちの話が聴いてくれた子ども
たちの心から消え去らないかぎり あなたの愛したお兄さんたちは生き続ける.......
それだけが あなたにであってたくさんの贈り物をいただいたわたしのあなたへ
のささやかなあかしです。

七郎さんはまったく耳の聞こえない方でした。なぜかわからないけれど わたし
たちの聲は 聴こえたのだそうです。