改稿・awaの会
もう10年以上前のことである。わたしは1964年のオリンピック村
を改造した参宮橋の国立青少年センターに向かっていた。
語り手たちの会の上級セミナーで幾度も通った道だったが 道に迷って
いつものように遅れて着いた。お気に入りのイヤリングも落とした。
今日は卒業おはなし会で わたしは一枚の精緻なセンスのいいちらし
に惹かれて敷居の高い此処へ来たのだった。
すでに終盤 池山房子さんの雪女 にまにあった。そのたたずまいを
今でも はっきり覚えている。直截にいえば まだ曖昧さの残る語り
だが なにか 通じるモノ わたしにないモノがあった。
それからしばらくたって わたしは急に池山さんにコンタクトをとり
たくなった。HPにたどり着いたとき ときめいた。
あぁ....と思った。わたしのできないことをなさっている方がいると......
連絡をとって 月一度ひらかれるawaの会に参加したのは2.3年前の
ことである。
富士見市は山なみが手に届くように見え 川が流れる 都会と自然が
調和した街だった。Dスタジオで みなさんの語りを聴き 自分も
語らせていただいたとき 驚いた。
自分が参加したのは今日も含めわずか3回だったが 其処は 特別の
場所だった。なにかが降り注ぐ なにかとつながる清らかな赦された
語り場だった。.... わたしは最初 その土地のチカラだろうかと思った
のだけれど それだけではないと次第に判った。
つどうひとたちは純粋に語りが好きなひとで自分の好きなものがたり
を語り みんながよろこんでうけとめる まなざしでうなづきで笑い
で笑顔で応援し 賛同し ときに感動に打ち震える場所 生きる力を
取り戻すサンクチュアリだった。
わたしは多くの語り場に ちいさいのも何百人も集まるのも 参加
したけれど awaの会ほどの ゆたかな語り場はなかった。
グループを超え地域を超えて あつまるひとたちを懐に引き寄せ10年
以上 この場を束ねた池山さん ほんとうにありがとう。
あなたのなさったことは大きかった。グループに属すことは いいこと
もあるけれどときに苦くもある。指導者の手のひらのなかにおさまらな
いひともいる。会に所属することで語る場が保証されるから そこから
飛び出すと自分で学び語る場をさがし つくらなければならない。
それは駆け出しの語り手 ストーリーテラーにとってハードルが高い。
(すこしちがうけれど 野村先生の聴き耳の会にもそういったところが
あるかもしれないと ふと思った。)
awaの会は 今日で一旦 幕を閉じるけれど その最後のおはなし会で
語られた15の ものがたり.... そのどれもにあたらしい発見があった。
自分が語ろうとしなかった よく聞く定番のおはなしや絵本のおはなし
にも あっという視点があり感動があり 泉の冷たい水で顔をあらった
ような 目が覚めるような 襟を正すような想いがした。
ものがたりのひとつひとつが ひとりひとりの語り手のいのちの輝きの
ように思えて わたしはそっと抱きしめた。
どうぞみなさん それぞれの場で いつまでも語り続けてください。
きっと また 会いましょう。
