コミケ50年 お茶の水 明大にて / 曲がり角
今日は1975年発足のコミケ50年にいきましたが 一部は 終わりまぎわでした。
とても会いたかったので 勇を鼓して コミケ初代代表だった 今日のメーンの原田央男さんを
呼んでもらいました。
「わたし わかります?」
一瞬の間
「..水野さん」
50年の歳月が ... 溢れた 黒づくめの岩崎一樹さん その夫 アニメ監督の クールな廣川
ひろゆきさん 二代目代表の いつもやさしく微笑んでいた 米澤さん
長髪を一束に結わえてた鯨岡さん.....
監督の廣川さん 二代目代表の米澤さん ナレーションの一樹さんも 旅立って30年過ぎ去った
みんなで つくった アニメ『11月のギムナジウム』上演したそうです。
あぁ ここが わたしの 原点 と 今日 わかった。
みんなとの出会い 寝ずにマンガを 語り合った熱狂の夜
太田産業会館の 新宿のホコテンの 雑踏 マンモス喫茶 カトレアの 深海のような静寂
オーディション エーリクのママの声優が 語り部のわたしの 第一歩
家を出て自活し働きだしたのも 夫と出逢い結婚したのも …..亮之介くんがきたのも
語りはじめたのも この出逢いからだった….
コミケは オタク文化は 70年安保国会前 の どーしよーもない敗北から 生まれたんです。
そして 今 推し文化を守りたいひとたちが 国会前でライトをかざし 憲法を守ろうとしている
ふしぎだなぁ
コミケ 変貌しながら つづけてきた 代を継いで 守ってきた
わたしは コミケが 二次製作の場になってから 離れた。だって あたらしい漫画をめざしていた
コミケに希望を託したのだもの。二次製作は作者に対しても 失礼じゃない?と感じたし.....
この4月 久喜中島敦の会 が 閉鎖になりました。
2003年 カタリカタリが生まれた前年に 生まれた会です。
わたしは 2003年 第一回で 『牛人』を 2004年 第二回で『おとうちゃのこと』を
語らせていただきました。
すでに 一人称の パーソナルストーリー の 語りでしたね
他者として語る パーソナルストーリー の 語り それは 芝居と どう 違うの?
客観性かなぁ 外から 観ている 自分が ゐる そして 聴き手に向かうこと。
わたしは 芝居もしましたし 10分以上の 長台詞もありました。
でも それは 空間に向かう 共演者とつながりあって ひとつの世界をつくる
語りは たとえ一人称でも 聴き手 ひとりひとりの内奥に 向かうのです。
あんなこと そんなこと なにも 知らずに 語ってた….
お知らせをいただいて はじめて わかったんです。
2004年 3月 新しい風をこの地に
語りを学ぼうとするひとをあつめ2回の講座をひらいた ….
語りってなに? わたしたちになにができるの?
はじめが ある おわりが ある なんにでも。
どこまで あるいてゆけるか どーすれば つづけられるか 変わっても つづけてゆくの
がいいのか 志と方向性を 守り続けるべきなのか
カタリカタリの曲がり角 です。
