たいへんに 申し訳なかったです

語りの会が終わりますと それが小中学校でもそうでなくとも わたしはしあわせな
天にも昇るような しあわせを感じます。
どこかのだれかがよろこんでくださっている そんな 感じです。
地上と 天の あわいに 在るような 
からだの重みも こころの重みもきえうせて すべてゆるされて其処にただゐる様な

じつは それこそが 語りを つづけている理由であるのかもしれない

けれども 今回は おわって とても疲れて なぜだろう?? と とつおいつして
いました。おしえる ということに つかれはてたのだろうと思ったりしたのですが

きのう わかったのです。
『小泉八雲の世界』にはなにかとてもたいせつなものが 希薄だったということ

小中学校でも おとなのための会でも『語り継ぐ戦争と平和』では実際に目の前で
愛するひとが 無辜のひとが死ぬ それは怪談の恐ろしさに 比すべきもありません。

けれど どんなに残酷なつらい話であってもそこに 母への 戦友への あるいは
戦艦への..... そして国への ふるさとへの愛がありました。

また そのような献身のものがたり 至上のエピソードを 公演のなかに忍ばせて 
おきました

『八雲の世界』 メンバーは みな巧くなりました 個性的でもありました
努力して努力して ものがたりを かたちにしました。

しかし 共鳴が起きたのか といったら 何か大事なものが 抜け落ちて薄まって
あの結晶のような 刻は 一瞬。

『ヘルンさんとわたし』も『雪女』も もっと愛・哀・情けが籠められたはずです。

わたしは 耳無し芳一の和尚さんの 影声も 担当したのですが 慈愛にみちた
和尚にしようとした しかし 不思議なことに 家ではできてもリハや 本番では 
そうはならなかった。

テーマは 畏怖 と 美 と 愛    

かろうじて 乳母桜には 精緻な哀愁 濃やかな情けがあったかもしれない

たいせつな 出逢いでしたのに 納得のいかないものを お渡ししてしまった......
お客さまには 申し訳ないことをいたしました。

終わったことは どうしようもない
しかし このままでは 先へ進めません どこかちいさな場所で 少人数の方の前で 
セットもミニマムにして ひとりででも 語りたい。

聴き手 観衆は みなさん 揺り動かされたいから 足を運ばれる .....
其処は 波動の場 でなければならない .....