本番前々夜

忙しくて ブログの更新もままならずでした。

語り部のみなさんの 迷走 ...... みなさん 焦ってしまったのでしょう。
うわべの ものがたりに 翻弄されている 本質から離れてしまったので
その確認をしました。


ものがたりとは なにによって 構成されているか
ひとつは 失ったもの と 得たもの
ひとは 失わずして 得ることが かなわない、 文学でも定石ですね。

たとえば 幽霊瀧 お勝は何を喪い 何を得たか
耳無し芳一は? 力ばかは? お袖は?

そして タブーの侵犯 雪女 幽霊瀧 もね

小泉八雲は 日本人に なにを 見たか?
八雲は ふつうの日本人の中に 類まれなる 資質をみました 闊達さ 
よろこび 見えないモノと ごくふつうに交流する世界観 美への感覚
そして 期待と絶望に 揺れ動きました。

日本人は このたぐいまれな資質と近代化をむすびつけ 西洋文明が
はるかに失ってしまった 霊 心 身体の 幸福な 一体化を 持ち
つづけることができるだろうか
それとも日々の暮らしが 祈りであり やすらぎであるような 生活を
喧騒と物質にまみれて 永遠に 失ってしまうのだろうかと。

八雲は 実際のひととの交流のなかで と おなじくらい 昔話 怪談
から 日本を学んだのだろうと思います。

妻 セツさんが 義母などから 昔話を聴き 語ることができた口承の
語り部であったばかりでなく 書承のすばらしい語り部であったことは
八雲にとって しあわせな そして 日本にとっても たいへんに幸せ
なことでありました。

もちろん それは 八雲自身からセツさんに 流入した語り部の奥義
本を 読む いけません あなたのはなし あなたのことば あなたの
考えでなければいけません という 書承の語り部にとって侵すべか
らざる 戒めによるのですが...

実に 八雲は モノの本質 核心を 見抜くことのできるひとだった
のです。

八雲が日本にあたえた モノ 不幸にも運命のイタズラで 奪ってし
まった モノ は 甚大でした。

八雲は 漱石や荷風 その他多くの文学者に 火を 送りました。
日本の民俗学の 礎をつくった 柳田國男は 八雲の没後4年たって 
旅をはじめました。

八雲の ものがたりのなかの芯は 畏怖と 美そして 人間に向かう
透徹したまなざしだと思います。

つづきは また ....