戦争体験聞き取り BC級戦犯の戦後
今日 池袋から 戦争体験を持ってきてくれた方がいます。
今年88歳の八重子さんのおとうさんは職業軍人でした。
Yさんが7歳頃 世田谷 豪徳寺近くに住んでいたときは
朝 白馬がお父さんを迎えにきたそうです。下馬の陸軍
野砲兵連隊かと思われます
八重子さんはおかあさんから「おまえは北朝鮮のラナンで
生まれたんだよ」と言われたそうです。
羅南には陸軍第19師団司令部がありました。
戦後 ボロボロの男のひとが 疎開先のおかあさんの実家
に訪ねてきました。Yさんはとても怖かったのですが
それは おとうさんだったのです。
おとうさんは鉄砲の弾が雨嵐のように降るなか 逃げ惑い
ました まわりの戦友はバタバタ倒れるなか 生き延び
ました。..... オレハタマニキラワレタンダ そう語った
そうです。
おとうさんはラバウルから戦犯として帰ってきたのです....
調べてみるとBC級戦犯の軍事裁判はひどいものだったようです。
あきらかに報復 検察と弁護人のやりとりもなく乱暴に
刑罰が決められていった。
これらの裁判において起訴された者は5730人であり、
うち、死刑、無期刑又は有期刑に処せられた者は4449人。
国から上官から敵を殺せと命令を受けた兵隊さんたち
なかには非道なことをしたひともいたかも知れない。
しかし戦勝国にあって 残虐な行為をしたひとたちは
裁かれませんでした。すでに死に体となっていた日本に
「実験のため」 原爆を落とし 何十万人も生きたまま
焼き殺した国は 軍人は裁かれませんでした。
戦犯になったYさんのおとうさんは パージ 公職追放で
仕事につくことができません。山を開拓し畑をつくり
露天商をし 初午や祭りのとき 「ほら いくんだよ」
と Yさんもこどもながらに飴を売ったそうです。
おとうさんは 時折 戦地でかかったマラリアの発作が
起きてガタガタ震えるおとうさんにふとんをかけ その
うえにYさんがのって 発作がおわるまでおさえたそうです。
今日はマラリヤが起きませんように...Yさんは祈りました。
おとうさんはとても厳しく 勉強をすると叱られ 高校
なんて行かなくていいと言われ泣いて行かせてもらったの
だそうです。
この聞き書きは完成ではありません。 Yさんのおとうさん
の軍歴がわかりません。どんな罪状で裁かれたのかもわか
りません。
Yさんにおとうさんの遺品がまだ残っていないか 手紙など
はないか調べてもらい わたしは 軍事裁判の資料 氏名
経緯 などを 図書館などで しらべてみます。
80年前ですので なかなかむつかしいとは思いますが
カタチにして 聴いていただきたいです。
