小泉八雲と 戦後の日本と出雲神話 斎藤悌子
男たちの戦争のときのように 堰を切ったように情報がなだれこみ
少し整理する必要を感じています。
8月に終えた戦後80年三部作では 大東亜戦争を起こそうとした
のは だれか 戦後処理でアメリカはどのように日本を扱い二度と
立ち上がれぬようしむけたか を 語りました。
ところが 小泉八雲が アメリカの戦後処理のヒントを与えたこと
を知りびっくりいたしました。戦争中からアメリカは日本人の心理
の研究に 『菊と刀』及び 『日本の面影』などの八雲の著作を参考
にしたとは聞きおよびましたが 戦後にまで影響を及ぼしていたと
はびっくりです。
以下 ひ孫である 小泉凡さんのおはなし
当時、多くの西洋人が経典と戒律をもたない神道を邪教だとみなす
中で、八雲は、神道は書物の中でなく日本人の心の中で、迷信や神話
や呪術の根底にある民族の魂のようなものと深く共鳴しながら息づ
いていると考えた。日本では、時には生きている人が神に祀(まつ)
られることもあれば、人工物の中にもスピリットを認める寛容な
神観念があることを見いだし、共感を覚えた。
八雲は最後の著書『日本―ひとつの解明』で、日本人の精神史の執筆
を試みた。同書で、日本では祖先信仰が家庭の祭り、氏神の祭りなど
を通して日本人の精神を貫いていて、それは皇室の祖先神を祀る伊勢
神宮の祭りに収斂(しゅうれん)されていくと捉えた。つまり、祖先
信仰と天皇への敬愛は不可分であると考察した。この考えに共感した
一人に、米国人将校ボナー・フェラーズがいた。彼は、太平洋戦争中
マッカーサーの側近だった。
マッカーサーの側近だったボナー・フェラーズ八雲の全著作を読破し
たフェラーズは戦後処理のために日本に来ると間もなく、その遺族を
探し墓参りを行った。「天皇に関する覚書」や「昭和天皇独白録」の
作成にも尽力した彼は、昭和天皇を東京裁判で訴追せず、その力を
民主的な方向に生かすことにより、国民の精神的拠(よ)り所を否定
することを回避する提案をした。
今日の象徴天皇制の実現にフェラーズは大きな貢献をしている。
以上
わたし自身は 八雲の著作はこれから読むのでコメントはできない
のですが ふーーむ です
一方小泉八雲は出雲に惹かれました。八雲という名前は出雲の詩的
表現で 日本で最も好きな地名と手紙に書いているそうです。
日御碕神社は日沈みの宮ともいわれ日本の海を守る神社です。
八雲は日御碕神社と美保関を好きな場所にあげています。
日御碕はスサノオ終焉の土地ともいわれ 美保神社は大国主の長男
であるコトシロヌシ(恵比寿さま)を祀っています。実は男たちの戦争
の御祈願はコトシロヌシノミコトでありました。
出雲は奪われし国 コトシロヌシは海で殺され一族は山の洞穴で
殺戮されたとわたしは感じています。次男のタケミナカタはコシの
国の母ヌナカワヒメを頼って舟で逃げ延び諏訪大明神となるのです。
わたしはこれから出雲神話を語ろうと思っています。
まだよくは見えませんが 小泉八雲は わたしにとって 明治維新
大東亜戦争 出雲王国語りをむすぶハブみたいな存在です。
とてもありがたいですね 怪談や 骨董など 怪談については
語り部 小泉セツの存在はかなり大きい それに八雲の類稀な想像
力と申しますか 八雲自身の持つ霊的な部分が加わって再話という
より文学ですね。そこに民俗学者としての八雲がせり上がってきた
.......昔話は民俗学の領分でしたね。八雲は日本人の心に住まう伝説
やものがたりから 日本という国のありようを発掘していったのか
も知れません。
日本の古き佳きものを愛し共感し 東京などの都会に押し寄せる
傲慢や 軍国主義を憎んだ八雲 ひとの心の純朴を愛した八雲
12月に向って いいスタートが切れました。
沖縄県人としての斎藤悌子さん 基地のジャズシンガー斎藤悌子
さんのことは 後日にいたします。