その参 封印

訣別のあと わたしはなにをしていたのだろうと 古いブログの
封印を解いてみたのですが 日々書き続けたブログの3月 4月は
ほとんどなくて....そういえば わたしのことはみな消してと
先生がおっしゃったので ひとつひとつ記事を消去していったん
ですね。

ワークショップのカテゴリーは残っていました。驚いたことには
絶望のなかにいたはずなのに 1週間後には あたらしい語りの
講座 ワークショップの募集をしていました。
ヴォイストレーナーのやまもとさん この方はのちに蜷川さんの
60歳からのシェークスピアの 専属ヴォイストレーナーをなさい
ました。劇団昴の演出家永実子さん 穂積玲子さんなどを講師に
中身の濃いワークショップを数回にわたってプロデュースして
いたのです。

その後 全劇研のワークショップ 平田オリザさん ウィムさん
はせみつこさん トマティスメソッド カーブメソッド 鈴木
メソッド 脚本つくりのワークショップ LTTAのワークショップ 
満喜子先生や天音。さんのヴォイストレーニングのワークショップ 
などに参加しまくっていました。  最後はRADA IN TOKYO 
三度目のRADA イランさんの教えは身に沁みました。


フラワーレメディでは 秘儀 細胞に記憶されたトラウマの解消
を まなび ....いわきセミナーでは 覚醒とは自分の暮らしを
通して光である本来の自分に気づくことを........そうですね 傷つい
た自分の再構築をしていたのですね。

その試みが結実したのが YUZURIさんの白い家での HARUKA
NAKAMURAさんとのコラボ 『夕べの祈り』....『陽の射す方へ』
『シューレ』アイヌの歌手絵美ちゃんとのコラボ『結び目』
ディジュリジューのKNOBさん 縄文の風遣い ○ ○さんとの
コラボ 『龍神伝説』三部作 そして笛の奏者とのコラボ『櫻会
さくらえ』など  語られたのは創作の再生のものがたりでした。

ライブ”夕べの祈り”終了 haruka nakamuraさんのピアノ ジャニスさんの歌 扉を開ける     語ってみる / 2010-12-23 23:42:18       「夕べの祈り」ちょっとニュアンスが......と最初 感じたのですが、終わってみれば 文字通り 夕べの祈り でした。

     ......みなさん ほんとうに真剣に聞いてくださいました。いったいつながっているのか...なと一抹の不安も途中 感じたのですが この方は大丈夫なの もしかしたらつまらないのかな と思った方が実は深いところで揺り動かされていたことを終わったあとに知りました。

    ものがたり とくに「マクラウドさんの窓」で泣かれた方が何人かいらっしゃいます。けれど わたしがひどく心を動かされたのは 終わったあと 話しているうちに泣いた方がふたりいらっしゃったこと。そして 「ものがたりもすてきでしたが はじまってすぐ ワァーッときて泣かずにはいられなかった」と ものがたりが一番大切なのではないということに気がついてくださった方がいたこと。それから「コンテクスト.....共通の土壌に向けて語っている スピリチュアルなもの」と看破なさった若い男性がいたことです。

    yuzuriさんのつながりの方たちだから きっと 感度の鋭い聴き手が多いのだろうと 思ったとおりでした。きのう 伝えることに絶望していたのに 来春ストーリーテリングのまったくあたらしいワークショップが立ち上がる見通しとなりました。聴き手のなかから語りを学びたいと名乗りをあげてくださった若い方がいます。こんなうれしいことはありません。

    課題はいくつか 生まれました。波動をつたえる力は増しましたが おひとりおひとりから光をたぐりよせ ひとつにまとめる力がまだ足りません。それから、....... ものがたりもテキストから離れ おおまかな起承転結だけ決めて 音楽 ピアノやギターと即興でセッションしてみたいと思いました。かぎりなく 歌にちかづく、でも歌とはちがうなにかが生まれそうです。haruka さんとならできそうな気がします。今日 haruka さんのギターとジャニスさんの歌も即興性が高いものでした。

    haruka nakamuraさんに即興について訊ねました。上手くやろうとするとだめ メッセージも......とharuka さんは言います。語りでも楽器でもおなじピアノとひとつになろうとしているそうです。語りは身体が楽器 即興は五官にまかせる? 身体にまかせる ?  そうかな すこし ちがうような気がします。身体になりきる? 自分を解放してゆだねる........

    実は疲労困憊 朦朧としています。さっきも書きましたが エネルギーのバランスがまだ使えていないようです。出しすぎてしまうんですね。今日はあたらしい年の始まる日 今日 つどわれた方々の心の扉がずっと開かれていますように........

yuzuriさん ありがとう たくさんのつながりが生まれました。つながって つながって 響きあって ムーブメントを起こしましょう。虹の橋、光の橋をわたしましょう。

櫻会  前日まで車椅子だったのですが立ってますね  染殿の妃  蘆刈 ほか
平安のものがたり そして 雪女 を語りました。

一方カタリカタリも2009年11月 『第一回語り祭り』 2010年8月 
井上ひさしさん 櫻井美紀さん追悼の『語り継ぐ戦争と平和』~
『第三、四、五回語り祭り』 『文学の語り 秋・冬』 そして『春』 
を経て 『木々はみどり、風はブルー』『満州国の洛陽』『花物語』

『わたしが今語りたいこと』『いのちを語る』戦争と平和の語りへ 
突入してゆくのです。2012年2月から 学校公演がはじまり 2025年8月 
『戦後80年子どもたちの戦争』まで 13年間 戦争ひといろ でした。

戦争と平和の公演をつづけてきたのは 櫻井美紀さんの平和への遺志
を継ぎたい という気持ちが 根底にありました。父のウソのような
戦艦山城からの離脱 (山城はレイテ海戦-旗艦として出航 轟沈1500
名の乗員は10人を残して亡くなりました) 太平洋戦争の生き残りとし
ての責務を感じたこともあります。
そして3.11によって あきらかになった これから訪れるディストピア
についてメッセージにひそめることで 少しでも防ぎたい遅らせたいと
いう想いもありました。

けれどなすべきことは果たしました。し尽くしたので悔いはありません。
わたしはいまやっと 心の奥に疼いていた痛みを捨てることができます。 

鶴城さんのことばをお借りするなら 地の語りから天の語りへ再生へ
向かいたいのです。身と心についた澱を錆をひかりに溶かして......
ゆけるでしょうか....正直のところわからない こんなに月日が経って
しまいましたもの でもあきらめたくない

気が付けば 曲がり角で いつも 語ったものがたりがありました、
小泉八雲 『雪女』 12月 語らせていただきます。
真っ白な 旅立ちに なりますように。

亡くなられたあと開いた追悼のお茶会の案内状です。日付が入っていない!
ごいっしょした高岡のホテルでのショット.....先生はふたりだけのときは
こどものように屈託なくほがらかでやさしい方でした。