その壱 ただ あこがれを知るものだけが

きのうの学童クラブ公演は圧巻だった。わたしは豆子と魔物を語ったのだが 子どもたちはいとも愉し気に笑い通しに
笑い そのあと 宝の原は 参加型の劇だった。メンバーたちは一昨日より 自在に一郎二郎三郎 おっかぁになりきり
わたしは 進行と仙人のじさまだった。『なにがあっても前に進め! 逃げりゃ命がなくなるぞ』 大いに盛り上がった。

今夏の学童公演のテーマは 勇気。子どもたちも歌ってくれたけど 三回目の学童クラブ公演では子どもたちも巻き込ん
で村人になってもらおうと思う。

仕事場に戻り けれど心がざわめいて PCを埋め尽くしている語りのフォルダーの整理をはじめたら......
25年間のしめやかな足音 押し寄せる追憶。わたしは 語り部としてたどった道を はじめて 鳥瞰で 視た。

2000年1月 ASKで 櫻井先生とであった。その年 10月 四谷の 石響 で なかまを誘い 九つの
        物語 という語りの会をひらき ”雪女” を語った。

2001年4月 語り手たちの会 上級セミナー入門
2004年3月 卒業とともに 櫻井先生 尾松先生を講師に 語り手入門講座『新しい風をこの地に』を開く
        参加者に声をかけ カタリカタリ結成
2004年7月 はじめてのコンサート『夏物語』浦和のスタジオ”プラネット”でひらき ゲストとして櫻井
        先生をお招きする


2006年2月 2回目のコンサート『もうすぐ春のコンサート』ゲストにリュートの名手 水戸先生
        櫻井先生 そしてお名前をわすれたが 染色家の方。
        中世の語りのように ケータリングの料理 ワインを楽しんでいただきながらのコンサート
        このとき 8話のものがたりを語らせていただき そのうちの一話が 雪女.......
        マチネのテーマは『母』だった。たいせつなふたりの母 櫻井先生は 語りに いざない
        今のワタシに導いてくれた第二の母だった。
        
        その櫻井先生に「こんな風に雪女を語れるなんて思わなかった あなたはもうストーリー
        テラー 来年近江楽堂で 語りなさい わたしがプロデュースしてあげる」そう認めていただき 
        多くの方から 祝福をうけ わたしは天に昇ったようにしあわせだった。

        翌朝 先生のHPをひらくまでは......
        なぜだろう 19年も経って 哀しみがこみあげる わたしはまだ癒されていない.....?
        


ただあこがれを知るものだけが...     つれづれ 2011~ / 2007-02-19 06:29:23      
  ビウエラの水戸先生

   昨日はじめて ひとりの語り手として認めていただいたのだった。わたしは一夜 ストーブの前で呆然と過ごした。七年の長くて短い時間がたゆとうて走って流れた。


   語りをどう捉えるか なにをめざすかはそれぞれである。昨日の語りを重いと感じられたか それともあたらしい季節の兆しと感じられたかはその方の感性・生き方による。きのう伝えたかったのは生きること...その痛みとそれでもなおあまりある共感...。

   わたしにしたところでただ美しい語り ただやさしい語りができないことはない。笑い話もできないことはないのだ。だが痛みを伴わない美しさややさしさがあるというのだろうか。 その裏に痛みがあり それを耐えなおひとの痛みを担うからこそ ひとはやさしく美しい。せつない..というはそういうことなのだと思う。自分が魂のレベルで語りたいこと伝えたいことを伝えるしかない それが託されたことだから。夕べはメッセージやブログやミクシィのコメントをとおして受け止めていただいたことに想いが溢れ 涙が止まらなかった。

   マチネのテーマは母である。ソワレのテーマはひと..である。雪女も雪 母 桜も 立っている木も...母である。ほうすけもおさだおばちゃんも白い花..もひととしてどう生きてゆくかがテーマである。ある方はマチネを癒しの語り...と捉え ソワレを励ましの語りと捉えた。はじめから終わりまで涙が止まらなかった...という方もいたし 空と海と大地の話!で泣いていらっしゃる方もいた。(わたしもキャシーの語りを聞いたとき 泣いたけれど)だが おさだおばちゃんでずいぶん笑いも出た..聴き手の方々は思いもよらぬところで笑う。(このごろそれを受け止めて つぎを語れるようになった) 櫻井先生の語りに心癒された方もビウエラに心癒された方もいた。コカのカメでみんなはじけた。ひとは自分にそのとき必要なものを受け取るのだろう。

   送られたあわくあまやかないろあいの春の花々 心尽くしのお菓子に囲まれてなお わたしは波間に揺れている あこがれがわたしを充たし 哀しみがわたしを揺さぶる...この道はわたしを彼方へいざなう これから変わってゆけるかわからない.... だが、ただあこがれを知るものだけが...。




その時は耐えた そして 翌年 決定的なシーンが あった。わたしはただ茫然と 先生のことばを聴いていた。
涙も出なかった。
2008年3月23日 近江楽堂で 『マグダラのマリア』 微小な光の粒がかぎりなく降ってくる.....
2008年3月31日 語り手たちの会 退会   Lucaさん 語りだけは捨てないでね その聲は まだ耳の奥
           に残っている。

先生 わたしはまだ 語っています 先生 ありがとう 語りがなかったら わたしはほんとうに生きたとは
言えませんでした。先生に会わなかったら 天から赦されているとしか思えない喜びも 心が砕け散るような
悲しみも その悲しみのなかから身を捩らせてでも前に進もうとする勇気とともに 持ち得ませんでした。