庭の歴史 春の惨

この星はなんと無残な星だろう 幾万の命がせめぎあい 食らいあうさまは 地獄だ......と書いた作家がいました。國枝史郎という方 です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%9E%9D%E5%8F%B2%E9%83%8E

春は心浮き立つ季節です。さりながら 春がきて 草むしりがはじまると わたしは この星はぢごくだと看破した 國枝史郎さんを思います。ささやかな庭にいったい幾種類の草花がひしめいていることでしょう。数十種? 数百種? それとも...... 草むしりは芽むしり仔うち ちょっとつらいので わたしは柘植の木の下に雑草が生えないようにセダムというちいさな多肉植物を移植しました。5年かかってセダムはどんどん領土をふやし 長い緑の絨毯となって わたしの望みはかないました。ところが一昨年はツユクサ 昨年はカラスノエンドウがはびこり 今年はホトケノザが緑の絨毯を侵食します。

セダム

庭にはちいさな丘があって春には 花ニラが星のような花々を咲かせ 毎年楽しみにしているのですが 今年はノビルとアイリスの攻勢で丘の頂上からは撤退してしまいました。庭はひとの手をかけた自然 ひとつの王国です。けれども草花はそれぞれの生存を懸け 命の戦いをやめません。

花ニラ

人間もそうなのかなぁ......  民族の運命と生き残りをかけて 戦争が起きるのだろうか.......  それとも庭に手を入れる人間の手のように 巨大な見えない手に あるものはつまみとられ あるものは保護されて 歴史は動いているのだろうか....... たぶんそうなのでしょうね わたしたちの国さえ動かすおおきな力があって パレスチナのひとびとのようにわたしたちは 翻弄される。

けれども この宇宙を動かしているもっと大きな意志があるのではないだろうか? それは 善悪を超えた存在であろうか もし その大いなる意思に 《美》という概念があるのなら わたしのようなセダムのようなアリのような ちいさな存在であったとしても その意志に添うことはできるのではないだろうか ...... 添おうとする行為が 祈りなのではないだろうか。

草むしりで指を泥だらけにして セダムと花ニラを応援しながら わたしは そんなことを考えていました。

地球はうつくしい 自然はうつくしい しかし 人間のこころが撚れ曲がり闇に染まってしまったなら 人類は塗炭の苦しみをなめて やりなおすしかないのだろうと 考えていました。