たのしむ 語りは『道』だ 『エンタ』だ!!

わたしは 長いこと 道をめざしていたのですが (語りは 柔道や歌道とおなじく自分を磨く道だと思っていた) ......つまり 聴き手の魂の根底に届けたい 共通の民族としての人間としてのベースに 声の響きにのせたものがたりを届けたい 真実を伝えたい と熱く願ってきたのです。そのために 名だたるワークショップに通い ボイストレーナーの門をたたき クラシックやシャンソンで声を鍛え ジムに通ってからだを鍛えてきたのですが......この終末的な世において 正義が闇に落ち 恣意的なまつりごとがなされ 戦の臭いがふんぷんと漂う ありうべからざる この世において......  道は 其処にある それでいいじゃないか という気持ちになってきました。

わたしたちに わたしに どれだけの時間が残っているかわからない。愉しく 暮らしたいなぁ....と そんな折 見つけたのが 先月末亡くなった 森永卓郎さんの最後のことば のひとつです。

                                   以上

世の中がキュウキュウしてせちがらくなっているのは インフレのせいばかりじゃないと思います。 たぶん 不幸なんです みんな 個 になっている 電車に乗ると日本人異常だと感じるのは わたしだけだろうか? みな無言で老いも若きも スマフォパチパチ なかには親指が変形しているひともいる。 (それって おもしろいのかなぁ) だから推しも必要 推しの一挙一動を自分のことのように一喜一憂する それを励みに 懸命に生きている .... しあわせっていろいろなところにある 苦しい時こそ ひとは生きるために 代替的なしあわせをみつけようとする。しあわせじゃないと生きてはいけないから。

わたしは ちょっと やり方を 換えてみようと思いました。悲劇から 喜劇へ 一気呵成には むつかしいけどね。

※ 森永さんの 最後のことばは これだけじゃありません 3/1 に出版されるそうです。
※ 石破総理は アメリカで冷たくあしらわれても 毅然としている 新日鉄も粛々と正論をつらぬく 日本人の誇りが よみがえってきたのかなぁ