本町小本番・北小リハ

 本町小さん1組担当のSさんが清々しいお顔をしていたので うまくいったのだなと思った。本町小は 変則的に朝のおはなし会をつかわせていただいていて わたしは2組担当だった。先生のお人柄か笑い声の絶えないあかるいクラスで ここで戦争の話を語っていいのかな....と思ったくらいだ。けれどはじまると一転 集中して聴いてくれた。新年度 朝のおはなし会が激減し 1学期1回になるとのこと おはなし会代表が校長先生から宣告されたとのこと。30年ちかく 父兄や地域のひとびとがつないできた読み聞かせの灯が薄れてゆくのはさびしいことだ。本町小は 久喜市では 朝のおはなし会の先鞭を切った学校だった。その後つぎつぎと飛び火のように小学校の朝のおはなし会が広まった。自分で読むのと 読んでもらうのとは 目的も効果も異なる。うつくしい日本語の響きを体験する クラス全体でひとつのものがたりを共有するのは 子どもたちにとってしあわせなことだと思う。

 朝のおはなし会が減る代わりに 昼の時間を使ってよいという。昼休みのフリーのおはなし会は 出入り自由なので 子どもたちをものがたりにひきこまないかぎり......そしてダレもないなくなった......になってしまう。手遊びや参加型が子どもたちの心をつかむだろう けれども 読み手・語り部が 聴いてもらうことのみに腐心すると じっくり聴かせるおはなしが 消えてゆくだろう。それでも 地域のひとがボランティアとして学校に入るのは 意味が深い。ある評論家の言によれば 地域に開かれている学校ほど 雰囲気も良いそうだ。

 北小 リハ はキャストをかえて二通りやってみた。おなじ脚本でも 飽きることはなく ナビをしながらわたしは 戦時中の追い詰められた明日をも知れない暮らし 乏しい食事 自分の命を守ることにだれもが手一杯だったあの時代が 声の響きで再現され ひしひしと身に迫るのを 驚きとこみあげてくる涙とともに感じていた。そうだ 求めていたのは これだった。 身体もこころもキリキリとただ生きるために動員され 研ぎ澄まされたあの時代 かろうじてひとを人間らしくつなぎとめていたのは 家族への愛 仲間への想い だったのだと思う。5つのエピソードは響き合い 結ぼれて どのような感慨を子どもたちの胸に届けるのだろう。5日の本番がたのしみである。