なぜ 語るか……

最初は 語るとき この世でないところにいく 不思議な感覚が忘れがたく
そこにたどりつきたい一心でした。語り終わった後の静謐 やすらかさ
それも 経験したことのないよろこび でした。

この語りというものを もっとおおくの人に伝えなければ という気持ちが
芽生え カタリカタリを起こしました。ですからわたしにとって
ものがたりや 聴き手に対する愛というのはあとから きたのです。

今 わたしを突き動かすのは神と国とに対するつとめ です。
誤解を招くと困りますので あまりことばにしませんでしたが
神とは 霊(日)のもとつ国の天地あめつち 一切の 神
既存の宗教とは かかわりありません

アニミズムに近いかもしれません。語りの前あとに 祈りを捧げます
ひとそれぞれですが 芸能とは ほんらいそのようなものと思って
おります。

国とは政府ではなく 国土そのものそして国にすむたみひと

ですから 神と国とは ほとんどひとつ

目に見えるのが山河 その山河に籠る 神霊が神です。

神さまは 天意に添う語りをすれば ごほうびをくださいますが

国に対する 愛は 全く無償のもの 献身そのまんまです
今 戦記をかたはしから 読み直しているのですが お国のためにと 
命を燃やしたわかいひとの気持ち わかるような気がするのです。

この戦争はまちがっている この戦争は負ける そう思いながら
突入してゆく ほとんどの戦死者が家族を思って 戦ったことでしょう
それだけでなく 国への想いもあった
書かされた定型の遺書にのこる 空疎なことばだけではなくて

愛国とは ある意味 至上の愛なのでしょうね。
なんの報いも もとめない愛 
わたしたちは 平和な暮らしを 日々送らせていただいている
ひそひそとちかづく黒い翳はあるけれど

だからこそ 祖国ののち を託して死んでいったひとたちが なにを
想い 戦かったか 死の間際なにを想い祈ったか 考えてみたいと
思います。