昨日はアッツ島玉砕の日
5/29 それは アッツ島玉砕の日 はじめて 玉砕 玉と砕けるといううつくしいことばが
無残な戦死 痛みと苦痛を伴う血まみれの死に代わる 愛国のまこととして使われた戦闘
でした。
アッツ島はキスカ島とともにアメリカの領土でした。アッツ島作戦はミッドウェイ海戦の
陽動作戦でした。 山崎保代守備隊長率いる 2650名は 物資も援軍もなく大本営に
見捨てられましたが 極寒のなか懸命に戦います。
「一日二個のおにぎりさえあれば どんな重労働でもこなせるのに」
陣地に残された兵士の日記です。
5/29 山崎守備隊長を先頭に最後に残った兵士たちは蒼ざめた顔 ボロボロの服を まとい
足をひきずりひきずり アメリカの陣地に向かいました。
アッツ島には まだ2000体の御遺骨が 厳しい寒さのなかで 日本を夢見て 眠って
おられます。