日本人と神性

幣立神宮の 宮司さんの言葉から.....

「日本人が大事にしてきた叡智である『神道』には、あるものがないんです。
他の宗教だったら考えられない、決定的なものがない。なんだと思いますか?」

「教えがない」んだそうです。 教えがない宗教なんて、他に考えられます?
でも、教えがないから相手を裁かないし、ケンカせずに相手に合わすことができるんです。

教えがないということは、教えを守らなかったときに落ちる地獄もないということ。
地獄がないから、誰かに救ってもらうべく救世主も必要ないのです。

日本人は救世主を待たなくてもひとりひとりが内なる叡智とつながっていけると考えていたのです。

教えはない。救世主もいない。そんなの宗教じゃない(笑)

そう、宗教じゃないんです。 「神道」は宗教ではなく、日本人の「生活」だったんです。

「では、教えがないかわりに、何があったと思いますか?」
 神主さんの話にはまだ続きがありました。

「美しいか、美しくないかで判断する感性があったんです」 これが答えでした。
「その行為は美しいのか?」 これが日本人の生活(神道)の本質だったわけです。

日本人がめざしてきたもの ..... うつくしさ

日本の芸能ですとか 建築の様式とか ありとあらゆるものの 作法の 道の
根底にあるのは うつくしさ..... かもしれません。

そして そのうつくしさには 余分なものをとことん棄ててゆく 静かな気迫が
あるような 気が します。

語りも そうですね 余情をのこし 余剰を棄てる ..... 単純にそれだけではない
のですが 西洋のアートは ウィリアム・ブレイクが 語ったように

横溢こそ 力なり ..... の 趣が あります。
たとえば  一例ですが ダビデ像を 思い起こしてください

一方で 日本の彫刻は

無著像

でも これは むかしの 日本人のはなしなんですね
今の日本人の 奥底に まだ眠っているとは 思いますが.....