倍音 ひかりひびき カタリカタリ
語りをはじめたころ まだ語り部という重厚な名称を名乗ることができずに 語り手といった頃から なぜか『倍音』を追い求めていた。
倍音とは基音に重なる音 整数次倍音は 2倍 3倍 4倍......非整数次倍音は 不定期な揺らぎ みたいな....
音が重なれば 重なるほど 響きは豊かになり こころに沁み 励まし ひとを震わせる
ひとつには 自分がこころ惹かれたひとは 男女を問わず かならず 倍音の響きを持っていたから .... 数十年たっても その聲はよみがえり わたしを揺さぶる
それは たくさんのたくさんの声の糸を綯い合わせたような すこし掠れた声だった。 わたしの声はなめらかなソプラノで 倍音を出そうと クラシックを習ったり シャンソンを習ったり 数多のボイストレーナーをたずね 煙草も喫った。 けれども ファルセットは出せても 地声は伸びないし ファルセットとつなぐミックスボイスもなかなか出せなくて ...... ボイストレーナーの天音。さんから 5だったか6だったか 倍音がでてるよ と言われたときはうれしかったが 実感はなかった。
でも いつのまにか 苦もなくミックスボイスが出せるようになったのは そういうことではなくて 語りで神から悪魔 羊から狼 あらゆる声を つかいわける ..... いや つかいわけるのではなく 語っているうち自然と その聲に 【なった】のである。今 思えば 『あらしの夜に』をひとりで 語るようになってからであり シャンソンのレッスンのとき 低音の仲間のパーツも いっしょに歌うようになってからだと思う。しかしながら 高音と超低音を いちどに出すと 声帯はかなり堪える。
しばらく 倍音のことはわすれていたのだが 昨日のリハーサルで ハタと 気づいたことがある。となりのひとのものがたりを受けて 受けて 語って 手渡してゆく仲間の声は たとえば弦楽器のひびきのように似かよっていたのである。カタリカタリのメンバーには ハスキーボイスが多い。わたしも含めて 最初から ハスキーだったひとは多くはない。それが 10年ものあいだ 仲間の声に全神経を集中して聴きいっているうちにしだいに 声が しゃべり方さえも 似通ってきたのではないか。
家族や兄弟の声が似てくるのは 単に骨格や声帯の相似というより ともに暮らすうちにいつしか ある意味 声や響きをコピーするようになるのではなかろうか。今期の公演で 語りの流れが せきとめられたり 変質したりしたように感じたのは 仲間の若さ のためではなく ともにいた 時の長さによるのだろう。そして 古くからのなかまの声のひびきが かわってきたのは 曲りなりにそれぞれが 人生とたたかい めぐりの人に良かれと思うことを成してきたことにも 因があるのだろう。きのう わたしは なかまがつなぐものがたりに その聲のひびきに涙した。そして 今朝 七郎さんを思った。七郎さんのことばは このブログの巻頭に記してあるが その前に語られたことばである 七郎さんはクリスチャンだった 『姉妹よ』 と呼びかけたくれた七郎さんは もういない。最後にあった時 七郎さんはずっと大事にしていたのだろう ボロボロになった 『隠された十字架』をくださった。実はわたしは その本を持っていたのだけれど あらがたくいただいた。
《新約聖書のヨハネのことばに『はじめにことばありき、ことばは神なりき。これに生命あり、この生命は人の光なりき』 と書かれている。活字や文字にしたら ひかりではないのです。わたしはカタリカタリでみなさんがどういうふうなはなしをなさるのか どういうたいどでことばをだすのか それに興味があって 信仰上の理由で語りの会にでかけた。わたしはみみつんぼです。どこに行っても静寂そのもの みなさんのこえは聴こえない。補聴器をつけてもかすかにしか聞こえない、心の耳で聴くんです。それで 3年前でしたか カタリカタリのひとが語るのを聴いて その声が「ひかりだとわかった。よきことをしようとしていることがわかった…..わたしは泣けて泣けてしかたがありませんでした 戦争で死んだ忍にいさん 五郎にいさんのことを 語ってもらいたいと思った........》
おそらく 七郎さんとおなじことがわたしにおきていたのだろう。倍音は ひかり とわたしは学んだのだが 仲間たちの声は ひかりだった。わたしはきのうからきょうまでずっとしあわせだった。気が重い仕事も楽々とこなしていた。 いつもよりやさしくなれた。 ひかりは愛 愛はひかり。