人生は夢
今朝叔母が亡くなったと従弟から知らせがありました。
5月頃 TELで会話したとき 認知症が進んだかなと 思ったのですが
あっという間でした。
叔母の聲が耳もとで ちいさく コダマしています。
その息遣いを感じます。
叔母は祖父が亡くなると7人の兄弟全員に 実家に遊びにくることを禁じ
ました。やさしい祖母が亡くなったあと 畑で祖母の着物を焼いたとも
聞きました。長女の母とのあいだにもなにかとあって母も苦しみました。
祖父は叔母の子どもたちに大学まで教育を受けさせたのですが 叔母は
厳しい祖父に仕え 兄弟たちがあそびにいって 我が物顔に振る舞う......
当人たちはそう思っていなかったにしても そう感じて そんなこんな
がたまりにたまっていたのだろうと思います。
叔父叔母兄弟の諍いを おさめたい 母の死がちかいことをさとった時
わたしは 母のための纏めの会 ことばをかえれば生前葬を6年前の12
月に開きました。
叔母叔父たちもいとこたちも来てくれ 祝い舟が練り歩き 母の教え子
たち 母のなかまたちも 母の長寿を祝ってくれ その翌年 母は亡く
なりました。なんとか母の感情のツジツマはついたようで 母は実家に
ついて口説くことはなくなりましたが 母の実家ははるか遠くに思えて
武甲山の見える高台の日当たりのいい懐かしい祖父母の家に立ち寄るこ
とはありませんでした。
亡くなったと聞いてから 叔母はどんな思いで嫁ぎ (婚礼の日7歳の
わたしは花嫁が玄関の敷居をまたぐとき お酒をついだのです)
どんな想いで舅や姑につかえ 子どもを育て 畑仕事をし ソバを打った
のだろうと 思いを馳せました。叔母の願いはどんなだったろう
叔母の夢は かなったのだろうか 兄弟が訪れることもなく叔父もいない
静かなひとりの家でしあわせな晩年を 送ったのだろうか......
人生は 儚く あっというまに 月日は 過ぎ去る
亡くなって3年も立てば 話題にのぼることもない
ものごとは なんのさしさわりもなく動いてゆく
わたし自身 その日がいつくるかしらと考える年にいつしか ほんとうに
いつのまにか なっていて..... 残るひとたちが困らないようにと おせっ
かいにも アレコレ準備に余念がないのですが....
そんなこと考える必要なんて ない.....
あとは どうにかなる みんなだいじょうぶ 子どもたち カタリカタリ
働く仲間たち...... 日本という国 わたしたちが住むこの世界
人生は夢 ..... 多くの武将がそう辞世の句を 残しました
人生は夢 ........ 語りのことも 夢のまた夢
あぁ いい夢を見たなぁ って さよならするだけ.....
いい夢 だったと 思える日々を 送るだけ .......
叔母であったトシエさん の 冥福を祈ります。
