世阿弥のつづき 離見の見

世阿弥のことばに 離見の見 ということばがあります。意味は 客観的に視る
世阿弥は 禅宗とも かかわりがあり 離見の見 は もともと 禅宗のことばで リケンノミと読み こんな意味があります。

  • 偏見や執着から離れること:物事に対する個人の感情や思い込みを排除し、客観的に見ること。
  • 真実を見抜くこと:客観的な視点から物事を見つめることで、真実や本質を見抜くことができる。

では 世阿弥は 離見の見 リケンノケンに どのような想いをこめたのでしょう。 

KANZEネットを見ますと....

舞台の演技者は自分の姿を見ることはできません。
特に後姿は。離見の見、つまりあらゆる観客の目の位置に心の目を置いて、自分の完璧な舞姿を完成せよ。
これはまさにモニターテレビによるチェックの考えかた。
世阿弥の発想はきわめて現代的ではありませんか。

と あるのですが それだけでしょうか?

離見の見 とは 高見の見 ともいいます。高いところから観るということですね。
観客の目から見る 客観視 のみならず 舞台で踊る己 それを視る観客 その全体を 鳥瞰する それだけでなく エネルギーの流れも 高所から視る 達人は そのくらいできたのではないかと思うのです。わたしは達人ではありませんが ごくたまに 全体が視えることがある 遠い客席の あのひとがハンカチを出した とか 何人泣いていらっしゃるとか 視える。語っている自分も見える ほんとうに滅多にないことですが 光の粒子が 視える ときがある。

世阿弥ほどの達人は おそらく ゾーンに入っていたのだろうし あの世とこの世の 境にいた .... 世阿弥の 夢幻能は そうでなければ 説明がつかないような気がするのです。