フィールドワーク
ひさびさに 戦争体験の聞き書きに伺いました。話してくださるのは96歳の一人暮らしの男性です。
昭和四年長男として出生 4歳の時産後の肥立ち悪く母他界。その後父は後妻をむかえ三男三女が生まれる。尋常小学校6年生の時 太平洋戦争勃発 旧制中学に進み 学徒勤労動員で 川崎・鶴見のいすゞ自動車で軍用トラックをつくる作業をした。宿舎の道路ひとつ隔てたところにアメリカ人の捕虜収容所があった。昭和21年 3月 東京大空襲...... 川崎 横浜 東京 B29来襲 一面焼野原 ...... 恐ろしかった。しかし その一角だけは焼夷弾が落とされず 燃えなかった。米軍は 捕虜収容所の場所を熟知し その場所を避けたのだろう。これが 耳が遠いIさんに ありったけの声で 質問をつづけ おあづかりした戦争体験の概要です。
捕虜にたいして どんな気持ちを持ちましたか? 子ども時代 飛行機乗りにあこがれませんでしたか? 食べ物に不自由はなかったですか? 一番苦しかったのはどんな時でしたか? それらの質問に Iさんは『子どもだったからなぁ 覚えてない』 と答えました。 いちばん楽しかったのどんな時でしたか? とたずねると 『いつも楽しかった 苦しいと思ったことなど 一度もない』と答えました。
わたしは 気づきました。Iさんは 継母さんのことや 子どもの時から農家の働き手として 辛い作業をしたことや 学徒勤労動員での食事や労働その他の苦しみや辛さを《あえてか無意識にか》お忘れになったのだ.......と。生きるためには忘れなくてはならなかったのだと。そのあかしのひとつとしてIさんは 宿舎の食事についてまぁまぁだと言ったのですが 栄養失調で終戦前 実家に戻り 比較的ながい療養をされたのでした。戦争体験の採話 聞き書きをとおして 今までにも記憶の一部が欠落している方がいましたが 人間の脳は 耐えきれない負荷がかからないように記憶を消すこともあるのでしょう。
ふつう ひとつの体験を聴くのに すくなくとも2時間はかかります。けれども 今日は1時間ほどで終えました。これ以上 Iさんの懐深く そのときの想いをつらい体験をも含めて聴くためには 時間がもっと必要です。いちばん時間がかかった方は 6回通い詰めて ようやく こころをひらいてくださいました。
つらい体験を聴かせていただくとしたら 聴く側も とことん 胸襟をひらいて 信頼されなくてはなりません。フィールドワークは 人間を深く知ることでもあります。
わたしは深く理解しました Iさんが いつも一所懸命 働いたこと めぐりの人が助けてくれたこと (それと同じくらいかそれ以上 Iさんはひとの為に尽くしたであろうこと それは素晴らしい人生であったのだということです。