シテ ワキ 没入
きのう 男たちの戦争で 他のメンバーと自分のものがたりの立て方が かなり違うことに気が付いた。みなさんは ストレートに 戦争の情景を逐一 主人公に語らせる。わたしの場合 全部ではないのだが ものがたりの主人公は 影にいる。
たとえば 『雪部隊』の場合 新田小太郎の一人称の語りなのだが 真の主役は 少年兵の山王丸である。『お守り袋』も 菊枝さんの一人称の語りだが 主役は弟のてっちゃん 全体のものがたりのワキをわたしつとめるという二重構造 で 生きているわかいひとたちに 山王丸やてっちゃん の話を 聴いてもらいことで 魂鎮め 供養とするのである。今のひとたちこれからのひとたちに聴いてもらうことで 戦争で夢半ばで非業の死を遂げたひとたちの願い『平和』をかなえんとすることで二重の意味で魂鎮めとなる。祈りである。
この構造は何かに似ている! と思いついたのが 能だった。
世阿弥の編み出した本格能(夢幻能)は ワキ(旅の僧)が シテ(怨霊)に会い 怨霊の嘆き(モノ語り)を聴くことで あきらかにする。つまり主役はシテ(怨霊) である。怨霊が話を聞いてもらうことで 鎮魂の役目を果たす。能の前身は 田楽だった。田楽 舞踏とは 悪い霊を足踏みすることで追い出し 佳き霊を舞で招く。その原初的な芸能を 芸に高めた世阿弥は どうやら 霊を鎮めることをしごとにしていたらしい。
鎮魂の儀 で 必要なこころもちは 没入 集中の集中....... みずから 開き切り 己をあけわたし なおかつ その全体を 俯瞰して観る 境地。それは そんなに簡単ではないが 10Mの崖を飛び降りるほどむつかしいわけではない。