その四 櫻 (自分のためのまとめです 記憶記録をたどりながら)
足跡をたどることで なにによって導かれたのか これから何処に向かおうとするのか
見えるような気がします。
おそらく 語り手たちの会から はみ出していたんですね やめたあと 2年間充電
再生の語り カタルシスをめざし スピリチュアルな語りと日本の古代史に向かった。
ところが 櫻井先生の逝去 東日本大震災によって 一気に戦争体験の採話・再話に
突撃 戦い過ぎて 日が暮れて ふと気がつくと 今 はもう こんなところ。
2000年1月 櫻井先生と語りと出逢い うちなる扉がひらく 第一期
2000年9月 コア石響にて 9つの物語主催 雪女を語る
2001年4月 語り手たちの会 研究セミナー入門
2003年10月 銀座? 7つの物語 わたしのディアドラを語る
2004年3月 語り手たちの会セミナー卒後即 3月23日カタリカタリ立ち上げ
2004年8月 浦和プラネットにて 夏物語 ゲスト 櫻井美紀さん
ソワレ・マチネで7話を語る
2006年10月 喫茶ミニヨンにて 櫻の会 4つの物語
2007年2月 浦和プラネットもうすぐ春のコンサート
リュート水戸茂雄さんゲスト櫻井美紀さん
このときすでに 自分の語りを一度壊そう 今まで手にしたものを
若いひとたちにわたそうと考えていたようです
7話 フランス窓から おさだおばちゃん(パーソナルストーリー)
白い花をいっぱい(秩父事件) 雪女など
2008年3月 近江楽堂にて マグダラのマリア
語り手たちの会・退会 第二期
2008年4月 あたらしい語りの講座 主催
2009年11月 カタリカタリ語り祭り第一回 あたらしい風
2010年4月 「櫻会-さくらえ」 雪女 染殿の妃 蘆刈など
2010年6月 菜の花会の語り 新・古事記 床絵美さんと出会う
2010年7月 櫻井先生逝去
2010年8月 語り継ぐ戦争と平和 県立図書館ホール
2010年10月 21日 古事記を語る
2010年10月 23日 夕べの祈り HARUKANAKANURAさんとコラボ
2010年11月 第二回 カタリカタリ語り祭り
2011年3月 東日本大震災
2011年5月 シューレ
3回にわたって ひとりで 奈良 ~ 熊野をめぐる
気づいてみれば 龍神 をめぐる旅だった。
2011年7月 被災地を巡礼し 幼稚園などで語る
2011年10月 文学の語り・秋
2011年11月 第三回 カタリカタリ語り祭り 民話と賢治と大洪水
龍神伝説を語る
2012年2月 第一回 中学校公演 わたしたちの戦争 第三期
2012年3月 いのちを語る
2012年4月 陽の射す方へ
とんび ほれ薬 鬼女房 みのわの嘆き ラプンツェル
マザー 龍神
2012年 結び目 高尾山のふもと 床絵美さんとライブ
2012年11月 第四回 カタリカタリ語り祭り
2013年 わたしが今 語りたいこと
2013年11月 第五回 カタリカタリ語り祭り
2014年3月 語り劇 『風船爆弾』
2015年7月 木々は緑 風はブルー(県立久喜図書館ホール)二期生卒業公演
2015年8月 夏の日に 語り継ぐ戦争と平和 ~青春の証言編~
2016年3月 23日うつくしい物語(第46回公演) はなみずき会館
2016年7月 久喜市市民企画公民館事業 『子どもの戦争』①~⑤
プレ 「老編集者の戦争体験」 童話屋 田中さんを迎えて
2016年8月 子どもの戦争 パート2 山田清一郎さんを迎えて
2016年10月 障碍者と戦争 児童文学者丘修三先生を迎えて
2016年10月 聞き書きワークショップ 講師 森洋子 佐々木伸衣
2017年3月 語り劇 風船爆弾 中央公民館
こののち 小中学校公演 幼稚園のおはなし会 デイサービス などに追われ
個人のリサイタルも カタリカタリの会も途絶えていました
2024年1月 語りを教えることをやめようと決意しました。
20年のあいだ なんどもなんどもそう 思ってきて....未練が
断ち切れなかった。わたしは自分のような語り部と 出逢い
たかった...... いつも孤独であったので ものがたりが降って
うたって かたって そのような 語り部と....
そのための22年。
あきらめがついて 残っているメンバーを「独り立ち」させよう
と三組にわけ お話会を企画してもらい ちらし作成 集客プロ
グラムの作成を任せ おはなし会を開いてもらいました。
語りとは そのひとのすべて 魂も体もすべて 差し出さないと
伝わらない 本気で教えようとすると全人格的なつきあいになっ
てしまいます。そのひとの生き方そのものが 変わることもある。
すくなくとも6人はより本来のそのひとらしく生きられるように
なりました..... けれど
頑ななひと心に深い傷をおったひとを 深追いすると とても
つらいことになる。手ひどい打撃を受けることもある 語りは
愛であり この世への神さまへの感謝ですから 謝礼はとらな
いしおあづかりしたひとを自分から 断ることはしないように
しているので .... ひたすら 忍耐でした。
いくら つたえようとしても伝わらない そのひとのうつわの
大きさにはいるものしか入らない そんなあたりまえのことに
納得いったのも 最近のことです。みな まだ 若いのだもの。
それで公演の水準を維持しようとすると テクニックをおしえ
てしまう みんなが だいすきだし 上手になってもらいたい。
その場で変わる.... でも あと味がよろしくない。テクニック
でおっつけようとすると自分の語りも 変質してしまう。
葛藤がありました。
でも どんな方法でもみんなでひとつになって いい語りをして
それが聴き手に届いた喜びは天にも のぼるものでした。
自分一人の語りのときの 何倍も 何十倍も。
わかいメンバーのみなさんは 一歩一歩前に進めばいい どの
ような声をだしたいのか その聲を発するにはどうしたらいい
のか このものがたりには どんなメッセージがひそんでいる
のか....
自分自身で考える・感じる そして語る 語り続ける 聴き手と
ともに呼吸しものがたりを生きる 自分のからだ感覚で会得した
ものは 裏切りません。
モノがたりとはなにか再話で心掛けることはなにか 聴き手のど
こに向かって語るのか 聴き手はなにを求めているのか 足りな
かったことをつたえ 二回の公演をともにしてもう一片の悔いも
未練もなくなりました。
これからも小中学校ほかのオファーをいただいた時は 語り部
同志として ゆるやかなユニットとして 手を携えていきたく
思います。
わたしは あたらしいわたしになりたい。2010年に戻るの
でなく 苦闘し疲れ果て擦り切れた 今の自分を うつわに差
しだし 充ちてくるモノを語りたい
2024年8月 戦後80年 女たちの戦争
2025年7月 戦後80年男たちの戦争
2025年8月 戦後80年子どもたちの戦争
2025年8月 今..... 第四期 ラストに向かう
