あかしを残したいわけじゃぁない

ASKでともに学んだ友からのメールを見て すれ違いだなぁ さみしいなぁとふと思った。わたしは 語り部はメディア・媒体というお役目だと思っている。それは べリットさん ウィムさんのような海外のストーリーテラーさん 薩摩琵琶の鶴城さんや伝統芸能ご出身の俳優壌晴彦さんからも 学んだことです。

語りは代弁である ソレは夢幻能にもつながります。自分が 語るのではない。デンマークのストーリーテラー べリットさんの言う結び目 オランだのストーリーテラー・ウィムさんの言うランプ 壌さんの言う依り代 みなおなじことですね

心を動かされた多くの師の教えに 忠実に従い 語っている。そうしているだけ 

ブレないと言われるけれど それが ブレないと見える理由でしょう。戦争と平和の語りは 戦争で亡くなった方々の媒体として代弁の語りをしている。

癒しのために 語りをしたことなどないと思う。聴く人の魂を揺さぶりたかった 聴き手のみなさんのコンテクストを叩いて共振共鳴したかった むかしは みなひとつだった そのよすがを一瞬でもいい取り戻しかった。生きる力 氣を取り戻したかった。

歌とか ライブって みなそうですよね 橋渡しする祭祀者がいる セレモニーマスター 語り部は祭祀者でもある。神おろしですね。

十二分にやった。延べ10000人以上に語り すくなくとも4人の父親を取り戻し 幾人かの人生を変えた 自分の人生も語った。なにごとも一心不乱につづければ 道はひらける。自分の道を往く それでいい。

わたしは いつも はぐれ者で孤独だったから 自分のような語り部を育てたかったのだけれど それは無理な話だった。理解してもらおうとするのもどだい無理な話。むこうとこっちの世界のあわい.....は 行ったことがないひとには理解できない。あかしを残したいわけじゃないけれど だれかに見届けてもらいたい気持ちはあって 無意識で求めている ばかね。

ASKのなかまたちと 昔話をしながら お茶したかったなぁ….

わたしのライフワークは戦争体験を語り継ぐことではなくて 出雲王朝を語ることです。どちらにしても 科なく滅ばざるを得なかったひとたちの 『鎮魂』です。
ひたすらひたむきに差し出すだけだ それが わたしの 贄である